転勤のない社会を想像したことがあるだろうか?
実は私も20年前は転勤は当たり前のものだと思っていて、想像すらできなかった。
ところが欧州に仕事で赴任して、そこで長年暮らしていると、常識だと思っていた転勤制度が極めて非常識で、日本特有の制度であることがわかった。しかも、転勤制度が日本社会で機能していた昭和の時代と社会状況がすっかり変わっており、個人にとっても企業にとってもデメリットばかりが目につくようになっていた。
私自身、転勤族で世界中を飛び回っていたが、皮肉にもその転勤で世界を知り、転勤のない社会を志向するようになった。
最近、独立した理由を聞かれることが多い。
理由がひとつではないために答えに窮するのだが、ひとつの大きな理由に、
転勤のデメリットばかりが目に付くようになったことがあげられる。
「家族にこれ以上迷惑をかけたくない」
「もういい加減、腰をおちつけたい」
そんな気持ちでいっぱいになる。
家族の人生設計がわたしの仕事によって大きく左右されるのは、大変申し訳なく、耐えがたいことだった。妻のキャリアを中断せざるを得なくなったり、子供の学校を変わらねばならなくなったり。かといって、私が単身赴任するというのも私と家族双方にとって耐えがたいことで、家族の在り方自体を考えてしまう。
また、国内外を家族と転々としていると、一体自分は何処が故郷なのか分からなくなってくる。農耕民族のDNAがそうさせるのか、歳を取ったせいなのか、安住の地日本で腰をおちつけてゆっくりしたい衝動に駆られるのである。
勿論、これまで国内外色々と暮らして仕事していて得られたことは大きかった。仕事の幅も人脈も広がったし、家族も同じ意見だ。また、転勤しなければ、転勤のデメリットもよくわからなかっただろう(笑)。
ただ、引越や転勤、コミュニティへの順応という点ではかなり負担が大きい、大きすぎるのである。
なので転勤族として世界中を飛び回るのをやめ、独立して京都近郊に居を構えた。今はインターネットで世界中の人とすぐに繋がることができるし、必要ならば欧州へ関空直行便で半日もあれば会いにいける。
サラリーマンの転勤も同じような気がする。
社員や家族が国内外を点々とするのは、メリットがある反面、デメリットのほうも無視できない。
ITインフラや各種ツールが整った今、転勤というのは非常に効率の悪いシステムで無いかと思っている。会社組織が人の配置転換によって職場の活性化や人材・会社双方の成長戦略を描いていた時代は過去のものになり、より効率的・効果的な制度が模索されつつある。
個人的には、多くのサラリーマンやその家族にとって負担が大きく、もはや時代遅れで非効率な転勤制度なんて廃止してしまえばいいと思っている。
会社にとっても結果的にそれがプラスに働くだろう。それで会社が回らないのなら、回る方策を考えればよい。これまで多くの会社は当たり前のように転勤ありきで思考停止していたのだから。
仕事は人生の一部ではあるが、人生を支配するものではない。
転勤によって家族が引越しをしたり、離れ離れになったりして、犠牲になることがある。
私のように、そこに疑問を感じる人は、これからどんどん増えていくだろう。
また、それが理由で優秀な社員を失うのは、企業にとっても大いなる損失である。